アーノルド青年の日々受難  〜犬も食わない争い〜
 

(…救いようがないね)

ふうっと溜め息をついてアーノルドは一人ごちた。

何てことない。
これはよくある他愛もない恋人同士のケンカの話(のはずだ)。
『今日は何処に行く?』とか『お昼は何を食べようか?』とか、
そんなことから始まったに違いない。
それがどうして、この恋人たちの共通の友であるからといって、
全く関係のないアーノルドが巻き込まれなくてはならないのだろう?
全くをもって世界は理不尽である。

激しく互いを罵り合い、時には殴り合い、女は泣き喚き、男は『なら俺にどうしろって言うんだよ?!』と怒鳴り散らす。
訳も分からず急に呼び出され、事情もろくすっぽ聞かされぬまま
アーノルドはこの二人(と、アーノルドをこの場に呼んだ気弱な友人)に『この場限りの裁判官』に仕立て上げられた。
『どっちが悪いの?!』『それならば私の・俺のどこが悪いんだ?!』

…んなもん分かるかい

とばっちりもいいところ。
アーノルドに救いを求めた気弱な友人 ―― トゥールとその愛犬・ナナビョーシは、部屋の隅でガタガタと震え、
その成り行きを見守るだけ。
互いに罵り合う二人と部屋の隅で震える一人と一匹を横目に、哀れなアーノルドは窓の外を見やった。

青空に白雲がぷっかりと浮かび、流れていく。
外の穏やかな景色と、地獄絵図さながらの恋人たちの表情(かお)。


アーノルドは巻き込まれてしまった己の運命を嘆き、泣きたくなった。



「ねえ?!貴方はどう思うの?!アーノルド!」

突然話を振られ、アーノルドは内心たじろぐ。
…マズイ、全然話を聞いていなかった。

「大体!俺はそんなこと言ってないだろ!!?」
「言ったじゃない!!とぼける気?!」

(………勝手にやってろよ…)

呼び出される前に読んでいた小説の内容を思い出しながら、アーノルドは内心毒づいた。
しかし、女が男に殴りかかり、男がそれに応じようとしたため、慌てて止めに入る。

「やめろよ!!二人とも!!!」

互いににらみ合い、髪は乱れ、肩で息をする二人の間に何とか割って入る。
まさに地獄絵図。

「僕から言わせて貰えばどっちもどっちだよ!!」

ぜー…はー… ぜー…はー…

荒い息遣いが部屋に響く。
そう。アーノルドはどちらに味方する気もない。

《あっちを立てればこっちが立たず》

どっちに味方したって、かならずもう一方からケチがつく。
中立でいること、白黒はっきりさせずに灰色でいることのほうが賢いやり方なのだ。
…この場合は特に

しばらくして、互いに渋々ながらも一応のケリがつき、女は自分の部屋へと戻っていく。
アーノルドもトゥールもほっと一息つき、各々自分の部屋へと戻っていった。



――― 30分後

けたたましく鳴らされるチャイムの音と、叩かれるドア。
飲みかけの紅茶と小説を机に置き、アーノルドは玄関へと向かう。

ガチャリ

ドアを開けると、涙目のトゥールとナナビョーシの姿。
トゥールは縫いぐるみのような風体のナナビョーシをしっかりと抱え、早口に言う。

「ナンシーとフールがまたケンカしちゃってるんだ!!アーノルド、助けてよ!」


……勘弁してください


そんなことを思いながら、アーノルドは空を見上げる。
空には相変わらず雲が浮かび、流れていく。

トゥールにずるずると部屋から引きずり出され、ケンカする恋人たちが待ち受ける部屋へと引っ張られていく。

――― 当分終わりそうもないくだらないケンカ。

全く関係ないのに、何故か巻き込まれてしまうアーノルド。
ケリがついたと思って部屋に戻れば、その数十分後にはまた呼び出されるという無限地獄(ループ)。
呼び出すだけ呼び出して、部屋の片隅で震えて傍観するだけのトゥール(とその愛犬)。
激化したり鎮火したりと忙しい、恋人たちのケンカ。


(全く持って、救いようがないよ…)


暮れなずむ空の様子にこの恋人たちを重ねる。

―― 暮れそうで暮れない空。終わりそうで終わらないケンカ。


それらを横目に、アーノルドは別のことを考える。


今日の夕飯、何にしよう?


部屋の隅では相変わらずトゥール(とナナビョーシ)が震え、部屋の中央では
ナンシーとフールがケンカする。







カラスが一声『カー』と鳴いた。







 
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