戻る 進む Index柔らかい春の陽射しが窓から射し込む。 その女(ひと)は窓枠に腰を掛け静寂に包まれた部屋の中、窓の外ヒラリヒラリと舞い散る桜に目を向けていた。
――― 賑やかな声が聞こえる声のする方を見てみれば、そこには多くの見知った顔と見知らぬ顔。(あぁ、入院式か……)穏やかなその光景に笑みが浮かぶ。全く持って、くだらないザルを通り越して篭目状態の入院試験。 院の関係者の推薦があれば余程の事でもない限り不合格にならないその試験を通過して、目出度く陰陽院に入院を果たした新米陰陽師たち。 新米の9割方は呪術・巫術家系出身の者らしいが、実戦経験は無いに等しい。 あるのは優れた血統であるという自尊心とやたらと知識を詰め込まれた頭だけ。
即戦力にはなり得ない、サラブレッド集団…平時であればそれでいいのかもしれない。 ゆっくりと時間を掛けて経験を積ませることが出来るから。 しかし今は……
「何割、この中の人間が生き残れるのかな…」知識だけでは決して補いきれない戦闘技術。 強敵相手に真っ先に突っ込んでいくのは頭でっかちな新米たち。 そして彼らは散って逝く。
この虚空(くう)を舞う桜のように……「ここにいたのか」「ああ、加純(かすみ)さん」女が振り返ると、そこにはブルーブラックのスーツに身を包んだ男の姿があった。――― 鳶色の髪 涼やかな光を宿す桔梗色の瞳『加純』と呼ばれたその男はゆっくりと女の方へと近づく。「参列お疲れ様です」窓枠に腰を掛けたまま女はぺこりと頭を下げた。 本来ならば無礼にあたる女のその態度を、加純という男が特に気にする様子も無い。
「ああ…っていうか、本来ならお前も参列している筈なんだが?」咎めるような口調にも女は動じない。 スッと繊細なその指先を己の額へと持っていき、目を伏せる。 その仕草はどこか儚げな印象を持つこの女にしっくりと馴染んでいた。
「急に気分が悪くなってしまって……」「仮病だろ」「バレちゃいましたか」女は軽く肩を竦めた。 その姿に少しも悪びれた様子は無い。 加純はこの奔放な気質をした己の部下に内心溜息を吐く。
「お前、その調子じゃ忘れてるだろ」「何をですか?」互いに眉を顰める。「自分に直属の部下が就くって話だよ」「ん?そうなんですか?」女は形良く整えられた眉をヒュッと片方だけ上げ、青天の霹靂だと言わんばかりの顔をした。「……まさか、ホントに忘れてたのか?」渋面を浮かべる己の上司の姿にも女はあくまで自分のペースを崩さず、はっきりと言いきる。「はい。綺麗さっぱり」「………」加純は愕然とし、盛大に溜息を吐いた。「…俺は確かに一ヶ月前、お前と新河(にいが)の二人に直接伝えた筈なんだが?」上司の恨みがましい視線を『我関せず』と言った様子でさらりと流し、開け放った窓から舞い込んできた桜の花弁を 繊細な指先でスッと捉え、それを弄った。
「新河と私が出世するって話は確かに覚えてますけど、他は別に興味なかったから」「………お前なぁ…」『出世以外に興味無し』院に入ってから女が言い続けてきたことだ。…理解かってはいたが、ここまでとは…もう一度溜息を吐く。「……ま、馬は合うかもしれんな…」「? 誰と?」訝しげに眉をひそめ、女が問う。「お前のとこに配属されるヤツと、だよ」加純は腕を組み、口角を少し持ち上げた。 端整な顔立ちをしているためか、それだけの仕草でも妙に色気が出る。
「その新人、今日の入院式を無断欠席だとさ」「へぇ…初っ端からねぇ」ヒュゥっと一つ口笛を吹き女は驚いたような顔をするが、その声はどこか楽しげだ。「俺が面接をしたヤツだから良く覚えているが… 人柄的なモノから考えても、式をボイコットしたわけじゃねーだろうな。」
蒼黒色の切れ長の瞳をスッと細め、女が妖艶な笑みを浮かべる。「てことは……遅刻?」「恐らく…な」窓の外では相変わらず穏やかに桜が舞っている。 式の終わりからもう大分時間が経ったせいか、先ほどまであった人影ももうまばらだ。
楽しげに腹を抱えて笑う己の部下に、加純は問うた。「一応そいつの情報持ってきてやったが…見るか?」加純の問いかけに女は笑いすぎて目じりに浮かんだ涙を拭いながら首を横に振った。「いーですよ。そんな紙切れに書かれた情報(モノ)見るより、自分で会って確かめた方が早いですから」ヒラリ、またヒラリと桜が舞う。留まっていた【運命/さだめ】と言う名の川が静かに流れ出した。 行き着く先は浄土か穢土(えど)か?
今はまだ、それを知る者はいない加純と女がそんな会話をしていた時、窓の外には噂の人。 死にそうな顔をして必死に走ってくる男の姿があったらしい…