ぽかぽか おひさま ひるさがり  まんまる しろねこ すやすやねむる  うとうと やさしい ゆめのなか  さしのべられた やさしいて  ねがうは ずっと ゆめのなか  だけど ねがいは かなわない  きこえてきたのは なをよぶこえ  しろねこをよぶ なかまのこえ  もひとつ きこえた しらないこえ  さしのべられた しらないて  ながれる なみだを ふきながら  そのてに そっと てをかさね  やさしい きおく やさしい ゆめ  こころの おくに しまっとこう  ひとみを あけたら はじまるだろう  たのしいことも かなしいことも


 ぎいぎい とんとん ちかづくおとに  ぱっちり しろねこ めがさめた



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入院式の翌日、古ぼけた木造院舎の回廊 一歩、また一歩と歩を進める度に床板がギシリと音を立てて軋む。 バタバタと激しく走り回ったりしたら床が抜けてしまいそうだ。


ここは陰陽院別棟・桜美(おうび)棟

その名に相応しく、窓からは美しく咲き誇った桜の木々を目にすることが出来る。

(今の時期なら花見が出来るな…)

咲き誇る桜を横目に、鷹矢はそんなことを思った。
それにしても…
「ボロい……」

思わず本音が口から漏れた。 厳格な印象を与える本部の建物とは打って変わり、こちらは… 良く言えば古めかしく、悪く言えば……ボロい。 あちこちに修繕したあとが見られるがそれでも直しきれておらず、開いた穴(ネズミにでも齧られたのだろう)から隙間風が吹き抜ける。 今は春だからいいが、冬になったら絶対に寒い。


(本当にこんなとこにいるのかよ…?)

首を傾げながらも、受付の男に教えられたのがこの場所なのだから進むしかない。 気を取り直して鷹矢は目的の部屋を探した。


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くねくねと折れ曲がった廊下を進み、ギシリギシリと悲鳴を上げる木製の階段を 昇り、ようやく辿り着いた部屋の前。 古ぼけた扉の横にはどこかの百円ショップで買ってきたらしい木のドアプレートに これまた可愛らしい文字パーツで『かすみ ぶんしつ』と記されている。


―― 桜美棟3階 討伐祈祷部 加純分室

受付の男が言っていた部屋だ。 部屋を前にじんわりと手のひらに汗が滲む。


(うっわー…緊張するなー……)

『柄にも無い』と思いはするものの、心臓は早鐘のように打ちつける。 鷹矢は意を決してその扉を叩いた。


トントン

……返事が無い

トントン!

……留守、なのだろうか?

もう一度叩いてみようと手を伸ばしかけた時、どこからか少し眠たそうな声が聞こえてきた。


「…加純さんなら出かけてますよ」

「どわっ!?」

突然掛けられた声に驚き振り返ってみると、窓の外からボサボサの髪をした不機嫌そうな表情の女がこちらを覗き込んでいた。 その姿はまるで……


「さ、貞世っっ!!?」

「誰が『貞世』ですか、失敬な」

思わず口を吐いて出た素直すぎる言葉に女が即座にツッコミを入れる。

初対面の女性相手にいきなり『貞世』はないだろう。 いくら何でも失礼過ぎだ。 しかし女は『失敬な』と言いはしたものの気分を害した様子は無く、ひょいっと手馴れた様子で窓枠を乗り越えると 手櫛で乱れた髪を整えながら鷹矢の方へと近付いてきた。


――― しなやかなその姿は猫のよう

「んで初めて見る顔ですけど、うちの分室に何か御用ですか?」

じっと鷹矢の顔を見つめ、探るような表情をして女が訊ねる。

「え、あ…あの、俺の直属上司がこの分室所属だって聞いてきたんですけど…」

「直属上司?」

形良く整えられた眉がピクリと動く。

「ってことは貴方、昨日入院した新人?」

「は、はい」

「ふーん……」

蒼黒色をした切れ長の瞳が値踏みをするように鷹矢を見つめた。 女の先ほどまで乱れていた長い髪は何時の間にか綺麗に整えられ、深紅の結い紐で一つに束ねられている。


不躾なその視線に内心たじろぎながら、鷹矢は改めて自分を見つめる目の前の女の姿を見た。

(う、わ…この人、結構美人じゃん)

思わず貞世と見間違ってしまった先程の風貌とは打って変わり、きちんと整った様相をした女は『美人』に分類される顔立ちをしていた。

蒼黒色をした切れ長の瞳、真っ直ぐ伸びた白銀の髪 スッと通った鼻梁に薄く色づいた唇


どうして一瞬とはいえ、貞世に見えてしまったのか分からない。
(……絶対嫌われたよな…)

改めて先程の失言を思い返し、肩を落とす。 別に何かを期待していた訳ではないが、相手がそこそこの美人ともなればやはり少しだけ気落ちもする。 鷹矢は心の中で溜息を吐いた。


そんな鷹矢を他所に、女はうーん…と小さく唸りながらこめかみに人差し指の先をあて、何か深く考え込んでいた。 独り言気質なのだろうか? ブツブツと「いや、違う…」「でも…」と呟いている。 やがて結論が出たらしく、こくりと一つ頷きくるりと鷹矢のほうへと向き直った。


「貴方、名前は?」

「たっ、鷹矢皇海ですっ」

突然の問いかけに思わずどもった。 女はそんな鷹矢の様子を見てにやりと口角を持ち上げる。


「マイナス20点」

……へ?マイナス…?

意味が分からなくぽかんとする鷹矢に、女は言葉を続けた。

「ダメですよー?そんな簡単にフルネーム教えちゃったら。 『名は己を縛るモノ』って習わなかった?」


「…あ」

陰陽院では入院試験合格後、簡単な『講義』を受けることになっている。

『名は己を縛るもの。相手の名を知ることでより強力な術を使うことが出来る。 敵にはもちろんのこと、たとえ院の人間であろうと見知らぬ相手にはすぐに名を明かすな。 ……死にたくなければな』


居眠りが続出する部屋の中、仏頂面をした神経質そうな男の講師が確かにそう言っていた。

……うっかりしていた

「自分の『能力(ちから)』に余程の自信があるなら別に良いですけど、そうじゃないなら危ないですよ?」

もし仕事中に名乗ることがあったら、これからは苗字だけにしときなさいな

女の忠告に、鷹矢は素直に礼を述べた。

「はい!ご忠告ありがとうございますっ」

「いえいえ、どーいたしまして」

にっこりと女が微笑う。 そして、微笑んだまま鷹矢に訊ねた。


「それでなんですけど」

「はい?」



「直属上司って、誰だか聞いてる?」

「あ……」

すっかりここに来た目的を忘れていた。

「えっと、『カンナさん』だって聞いています」

「ふーん…『カンナさん』ねぇ……」

女が何やら意味ありげに形良く整えられた眉を持ち上げる。 そして蒼黒色の瞳をすっと細め、薄く色づいた唇の端を持ち上げ嘲笑いながら言った。






「大変だね、鷹矢くん」







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