窓の外は相変わらず穏やかである。 暖かい陽射し、舞い散る薄桃の花弁。 しかしここ、桜美棟3階 加純分室前には微妙な空気が流れていた。


「大変、ですか?」

眉を顰めた鷹矢に、女はにっこりと微笑みかける

「ええ、とても…ね」

女の表情は穏やかだが、言葉の端々から悪意的なものを感じる。 それは鷹矢に対して向けられていると言うよりも、どちらかと言うと…


(カンナさんに向けて…)

鷹矢にはここに来るまでの間に不思議に思ったことがあった。 それは院内で話しかけた人にカンナの事を訊ねると、皆一様に眉を顰めたり 気の毒そうな眼差しを向けてきたことだ。 流石に悪意を感じたことはなかったが…


「…隠陽院始まって以来の鬼才」

不意にぽつりと女が言った。 言葉に詰まる鷹矢を他所に、女は語り始める。


「今から2年前に入院をし、研修時代から今までの討伐数は軽く200を超えると言われる、討伐祈祷部のエース」


「に、200!?」

尋常な数ではない。 個人の能力差にも寄るが、一人の隠陽院生が年間に討伐する数は20から30と言われている。 どんなに優秀な者でも50が限度と言われている中、カンナと言う人物は入院2年にしてその倍の数を調服してると言う。


(どんだけすごい人なんだ…?!)

畏怖の念を抱く。

「優秀な人材でありながら、上層部からの受けは非常に悪い」

女は白銀の髪をさらりとかき上げ蒼黒色の瞳を細めた。

「幾度にも渡る命令違反、反抗的な態度。協調性はなく、個人プレーの繰り返し…」

「………」

「能力の高さを鼻に掛けた、加純分室の鼻摘まみ者」

そこまで言うと、女はふぅっと息を吐いた。

「それが貴方の直属上司、カンナと言う人ですよ…ねぇ、鷹矢くん?」

「…はい」

「嫌じゃない?そんな上司。師弟関係を結ぶとなると、貴方までカンナさんと同一視されることになる」


「………」

「今ならまだ間に合うわ。私から加純さんに頼んで、直属を代えてもらうことが出来る」

女の瞳が妖しく揺らめく。

「カンナさんが果たして貴方を教育するかどうか… 貴方には先がある。悪いことは言わない、カンナさんだけはやめておきなさい」


穏やかに、諭すように女は言う。そしてその言葉には不思議な強制力があった。

「俺は…」

その時ふと、頭の中に昨日の受付の男の声が蘇った。

――― まぁ悪いヤツではない。…精々頑張ることだな

俯けてた顔を上げる。そして、真っ直ぐと女の瞳を見据えると鷹矢は口を開いた。

「…俺は、カンナさんの部下で構いません」

「何故?」

女は少し驚いたように問う。

「貴女のお気遣いには感謝します。でも俺は…」

すっと息を吸う。

「その言葉を鵜呑みにはしたくない。まだ会った事のない人を、他者の言葉だけで評価したくない。 実際に自分で会って、付き合ってみないと見極める事なんて出来ない」


はっきりと言い切った。

「…でも、それじゃあ手遅れよ?もし貴方が嫌だと感じても、一度師弟関係を結んでしまえばそれを解消することは出来ない。 無意味な時間を過ごすことになるのよ?」


鷹矢はにっこりと笑った。

「ありがとうございます、大丈夫ですよ。俺、結構辛抱強いんです。それに…」

「…それに?」

「人間、悪いところばかりじゃないですって!きっと、良いところもある。 それを俺が見つけるってーのも、何か楽しいじゃないですか」


「………」

切れ長の瞳を見開いて、女は呆然とした。

そして…

「ふ、ふふふっ…」

「あ、あの…」

気に障ってしまったのだろうか?

心配する鷹矢を他所に、女は笑い続ける。

「加純さんの言ってた通り。ふふっ、ふふふ…ははは」

目尻に浮かんだ涙を拭い、女は鷹矢を見据えた。 その瞳には力強い光が宿る。


「ゴーカク」

「へっ?!」

「だから、合格ですよ」

「は、はぁ」

何が合格なんだかサッパリ分からない。 女はいたずらっぽい笑顔をみせて言った。


「そういえば自己紹介がまだでしたね」

そう言った女の薄く色付いた唇には妖しい笑みが浮かんでいる。


「『討伐祈祷部 加純分室所属 隠陽権博士 神奈(かんな)あさぎ』」


「………え…?」


か、んな…?


ニヤリ

愕然とした鷹矢の顔を見て、女の表情が明確に変わった。 それまで浮かべていた穏やかな微笑みが消え、代わりに美しく整ったその顔には不敵な微笑みが浮かぶ。




「君の直属『カンナさん』は私のことだよ」





開け放った窓からヒラリ、薄桃の花弁が舞い入った。



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