それは遠い記憶。 柔らかな春の陽射しの下での出来事



(―― お前は本当に美しいね…)

優しい眼差しで私を見つめる貴方。 白く痩せ細った指先がゆっくりと私の肌を撫でる。


(力強く、若々しく、美しい…)

貴方は血の気の引いた頬を私へと寄せた。

(ねぇ?どうやら私はもう、長くないようだよ…)

そう言った後、貴方は数度咳き込む。 血の気が引いて真っ白な手の平には、不釣合いなほど鮮やかな『紅』


(だからね、どうせ死ぬならここが良いと思ったんだ)

痛々しいほど痩せ細り、血の気の引いた顔に美しい笑みを浮かべながら、小さくなった背を私へと預ける。

その手の平には ―― 短刀

(病に『生』を奪われるのは嫌なんだ それならばいっそ、己の手で……)


『………』

さっきまで私の肌を撫ぜていた指が、ゆっくりと短刀の鞘を抜く。

(…私の『最期』を見届けておくれ)

春の陽射しを反射させ、キラリと光る刃先

ズブッ!という鈍い音と共に貴方の『生』が終える。 貴方の顔は苦痛に歪む事無く、とても穏やかなものであった。 その身体からは先程まで貴方の身体を駆け巡っていた深紅の雫が滴り、私の足元に紅の水溜りを作る。


じんわりと、じんわりと、私の着物に染み込んでいく紅

じんわりと、じんわりと、私を支配してゆく紅


それは遠い記憶。 柔らかな春の陽射しの下での出来事。



私が初めて覚えた『紅』の味 そして、生涯忘れることの無い『貴方』の味…




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「鷹矢くん次、そっちの棚整理して」

「えっと…あ、これですね?分かりました」

窓の外、美しく咲き誇っていた桜の木々は移り気。 早くも薄桃の衣を脱ぎ捨ててその身に新緑の衣を纏っている。


討伐祈祷部 加純分室所属のこの上司の下に配属されて一週間と少しが経つ。 同期の院生が各々の上司と共に現場での仕事に携わっていく中、鷹矢は己の上司となったこの女性 ―― 神奈あさぎと共に、分室内の掃除に勤しんでいた。

(一体いつまで部屋掃除なんだろ…)

『四神と守護士』『龍巫女の一族』などの書籍資料の中に混じった明らかに私物であろう本を端に避けながら鷹矢は静かに溜息を吐く。 一体誰がどれを読んでいるのだろう?と言いたくなるような雑誌や文庫の数々。 そのジャンルは様々で、例を挙げると週間ジャンピングや猫雑誌のNyan-Nyan。 最近話題の推理小説『僕のプリンを食べたのは誰だ』に少年漫画の『流浪ってみた謙信』 そしてここにはとても書けないような…まぁ、想像にお任せしたい類の雑誌・写真集もある。


それらを片手にこっそりと己の上司を伺い見てみると、彼女は鼻歌を歌いながら軽快にゴミを掃いていた。

「ふふん ふん ふふ〜ん♪ Hey!」

(……変な人)

鷹矢は極めて素直な感想を抱いた。





―― 討伐祈祷部 加純分室

それは高度な戦闘技術と豊富な知識を持った者たちで構成される討伐祈祷部の中、分室長の陰陽博士・加純を筆頭にその側近の二人の部下、計三名で構成された討伐祈祷部で最も新しく、最も小さく、最も功績を上げる分室である。


分室とは『派閥』に近いもので、思想・志を同じくする者の集団のことを指す。 規律では博士以上の位と設立に必要な資金を持つ実力者であれば誰でも設立出来るものらしい。 が、まず博士の位を取ることが出来る者が限られており、それに加えて莫大な維持費用、そして陰陽院幹部の後ろ盾無くしての分室運営は難しく、今現在その乱立には至ってない。

加純分室は分室長である加純の実力・資金力・人徳のみで設立され、幹部の後ろ盾無く設立された現存分室唯一の分室である。 それはとても誉れ高いことであるのだが、加純分室の上層部受けは非常に悪く、事ある毎に上層部から圧力が掛かる。


若くして分室を興した実力者・加純に対する危惧 その加純を慕う部下二人に対する危惧


実力至上主義体質が色濃く残る陰陽院で、いつ自分たちの地位が脅かされるか分からないという不安と、自分たちの思い通りに動かないと言う不満が上層部を覆っているのだろう。


下克上、と言う言葉が鷹矢の頭の中を過ぎって消えた。







「ほら、手ェ休めないっ!」

「!」


鋭く飛んだ神奈の咎める声に鷹矢は少しだけムッとする。

神奈はそんな鷹矢の様子を見ると、切れ長の瞳をすっと細め、口元に薄く笑みを浮かべた。 至極楽しげに、挑発するように、全てを見透かしているように…


その視線に居心地の悪さを感じ「すみません」と一言謝罪して鷹矢は作業を再開させる。 神奈も鷹矢が作業を再開させるのを見届けると、再び鼻歌交じりに床を掃き始めた。



…非は自分にある。注意を受けても仕方ない。 が、しかし


(もう少し柔らかい言い方してくれても良いじゃないか…)

常に何処か棘のあるような話し方。

最初はこういう話し方なのかとも思ったが、他の院生とは比較的穏やかに話していたのを鷹矢は知っている。 自分に対してだけ、目の前の上司は風当たりが強い。


そして心の内まで覗き込むかのようなあの視線。

まるで珍しいものでも観察するかのようなその視線に、鷹矢は居心地の悪さを感じずにはいられない。

何か気に障ること(初対面で『貞世』と言ってしまった事も含め)をしてしまったのか? それとも何か言いたいことがあるのだろうか? と、思い切って訊ねてみたこともある。 しかし返って来たのは傾げられた首と眉間の皺、そして「いや、別に?」という否定の言葉。


ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間 『ならば何故…』 融けた疑問は『不満』へと変わり、次第に膨らんで行く。


生まれた不満を胸の内に押し留め、気を緩めれば憮然としてしまいそうな表情をぐっと引き締め、鷹矢は黙々と作業を続ける。

その視線から逃れるように 心の内を見透かされぬように




(……まだ、甘い)

そんな鷹矢の様子を神奈は手を休めずにちらりと盗み見る。 気付かれぬ位小さく吐かれた息は、床を掃く箒の音に紛れて消えた。





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